日本よ、侍国家たれ。

日本は「サムライ国家」としての意気を示し、いわれなき批判を仕掛けてくる不届き国家に対し、断固反論しなければならない。

中国・朝鮮とは、近所付き合いも難しい!疲れる。

「中国を敵とみなせ」張氏粛清は親中派排除、正恩氏が恐れた“正男クーデター”

2013.12.29 09:59

 

http://sankei.jp.msn.com/world/news/131229/kor13122910020000-n1.htm

 

 

北朝鮮の金正恩キム・ジョンウン)政権が張成沢氏(チャン・ソンテク)処刑に先立ち、軍や秘密警察の幹部に対し、今夏から「中国に幻想を持つな」「有事には中国を敵とみなせ」とする思想教育を進めていたことが28日、複数の消息筋の話で分かった。

 

 

金正恩1書記は、中国が異母兄の金正男(ジョンナム)氏を担ぎ出すクーデターを最も恐れていたとも指摘され、中国や正男氏と関係が深い張氏の粛清は親中派排除をも意味していたという。

 

(桜井紀雄)

 

中朝関係者が張氏粛清のきっかけの一つとみるのが崔竜海(チェ・リョンへ)朝鮮人民軍総政治局長の5月の訪中だ。金第1書記の特使として派遣された最側近の崔氏は、習近平国家主席と会談したものの、中国は昨年8月に訪中した張氏への歓待ぶりとは対照的に冷遇。「張成沢氏をよこしてもらえないか」と要請したともいわれる。金第1書記と崔氏はメンツをつぶされた形となった。

 

消息筋によると、崔氏は訪中前に、秘密警察である国家安全保衛部の金元弘(ウォンホン)部長とともに、金第1書記に対し「習指導部は金第1書記を子供扱いしている」と報告。その際、張氏についても「正男氏にドル送金している」と告発した。張氏は昨年8月の訪中時にも、中国首脳に「正男氏一家の保護と経済的支援」を内々に求め、「中国が望む改革措置を約束した」などの嫌疑も伝えたという。

 

中国に有利な経済運営を続け、核・ミサイル実験に反対した張氏の追い落としが狙いとされるが、報告を聞いた金第1書記は背信行為であると激怒、張派の対中取引をめぐる「不正」調査に着手することを認めた-と消息筋は指摘する。

 

金正日(ジョンイル)総書記の長男、正男氏は、中国などで“半亡命生活”を送り、3代世襲に対する批判や中国式改革開放の必要性を公言してきた。中国では正男氏を支持する軍部などの幹部も少なくないとされる。張氏は正男氏を世話した経験があり、正恩氏の後継者就任に慎重だったともいわれる。

 

正恩政権内では「張氏が中国軍の支持をバックに、正男氏を金第1書記に取って代わらせる」との疑心がくすぶっていたという。張氏処刑で罪状に挙げられた「後継問題への妨害」「外部世界の『改革家』イメージを利用したクーデター謀議」は、こうした疑心の裏返しとも読み取れる。

 

かといって経済的に中国に大きく依存する北朝鮮が公に反中姿勢を取ることは難しい。中朝がともに戦った朝鮮戦争休戦60年となる今夏には、中国との絆を強調する映像を放映するなど、朝中友好を喧伝(けんでん)した。

 

その裏で、張派への調査で浮かんだ「親中」勢力の伸長を警戒し、同時期に軍や保衛部幹部に対し内密に開始されたのが「反中」思想教育だったとされる。

 

中国の援助で進む中朝国境にかかる橋の建設は「有事の際、中国軍が速やかに平壌に侵攻するためのものだ」との認識の下、「有事には中国を敵とみなせ」といった内容が繰り返したたき込まれ、張派など「中国と通じた」勢力に対する内偵も続けられたという。

 

北朝鮮では金日成(イルソン)主席時代の195060年代にも大規模な親中派粛清が行われている。

 

消息筋は「表立っては中国に友好的態度を示しながらも、張氏処刑に終わらず、『親中派』の粛清は今後もひそかに続けられるだろう」とみている。

 

 

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【朝鮮半島ウオッチ】拷問、犬刑、密告、政治収容所 恐怖支配強まる金正恩の北朝鮮

2013.12.23 07:00

 

http://sankei.jp.msn.com/world/news/131223/kor13122307000000-n2.htm

 

 

金正恩体制は、張成沢氏の粛清・処刑後、韓国に対し「最高尊厳(金正恩氏)への挑発を繰り返すなら容赦ない報復行動を予告なく行う」と緊張を高めている。強硬姿勢は当面続くとみられ、韓国への軍事挑発の懸念が高まってきた。一方、国内は恐怖支配を強めようと張成沢一派の粛清が続いているもようで、金正恩氏の北朝鮮は密告、拷問、報復、収容所といった暗黒時代に突入したようだ。(久保田るり子

 

 

 

粛清が粛清を呼ぶ恐怖政治

 

このところ金正恩氏の表情が一変した。金正日総書記の死去2年の追悼大会に現れた金正恩氏は、鋭く険しい目つきで会場を睥睨(へいげい)していた。

 

張成沢氏が悲惨な末路をたどったのは間違いなさそうだ。処刑の方法について判決文が『死んでも祖国に埋まる場所はない』と書いたためで、韓国紙は処刑にヘリコプターを打ち落とす4連装対空機関銃「ZPU-4」が使用されたらしいとし、遺体は火炎放射器で炭にされたもようとした。一部中国メディアは野犬による「犬刑」とした。いずれにしても現代社会で想像を絶する残虐性で、北朝鮮の異形が世界に広まり、一部にあった金正恩体制への期待は吹っ飛んだ形だ。

 

張成沢氏の処刑は、独裁国家の「因果」が巡ることを証明した。張成沢氏は1997年から2000年まで北朝鮮全土を震い上がらせた大粛清「深化組事件」の総責任者だったからだ。

 

当時、大飢饉(ききん)で約300万人もの住民が餓死し、全土は遺体であふれ住民の不満は頂点に達した。一方で金正日94年に死去した父、金日成の残党に手を焼いていた。社会の不満と残党の一掃を一気にかたづけるために行ったのが犠牲者25000人に及んだこの大粛清だった。

 

まず、徐寛煕農業書記をスケープゴート(いけにえの羊)として、「スパイ罪」で公開処刑。その後、全国に百数十カ所の拠点を作らせ、金日成派と不満分子を一斉に処分した。人民裁判、公開処刑、政治犯収容所、拷問、その報復殺人など、恐怖政治は3年余り続いたという。

 

金正日の忠実な僕(しもべ)だった張成沢は自身の政敵を粛清の手始めに名指しし、拷問で殺し、死体から指を切って陳述書に母印を押させたとされる。

 

 

 

そして16年後、今度は自身が血祭りにあげられた。

 

張成沢事件の前に一連のナゾの粛清、張氏は報復された?!

 

金正日政権末期に実力者数人がナゾの死亡や失踪を遂げている。この実力者たちは今回、張成沢事件を主導した組織の最高幹部だった。張成沢事件は、張氏に対する組織的な報復という逆転劇だった可能性がある。

 

20106月、党組織指導部第1副部長の李済剛の交通事故で死亡。李氏は当時はポスト金正日の後見人の地位をめぐり張氏と対立していた。李氏は2004年の張成沢失脚を画策、指示したとされ、長年の政敵だった人物。このため交通事故死には張成沢関与説が絶えなかった。

 

20111月、柳京・国家安全保衛部副部長がスパイ罪で銃殺された。柳氏は2002小泉純一郎訪朝の北朝鮮側交渉者「ミスターX」だった。銃殺は韓国情報機関が把握した。柳氏は2010年、南北首脳会談の水面下交渉でソウル入り。このとき柳氏は韓国側から張成沢と韓国の特別関係を示す証拠を入手。これが原因で抹殺されたといわれる。

 

続いて2011年後半には国家安全保衛部第一副部長の禹東測も張氏から職を追われ、その後自殺した。

 

朝鮮労働党組織指導部は北朝鮮の党、軍、政府の人事権を持ち、粛清権も持つとされる権力機関。秘密警察の国家安全保衛部は組織指導部の手足である。張成沢氏と両機関は積年の対立関係にあった。だが金正恩氏世襲で後見人となった張氏は、権力を握った2010年から両機関の最高幹部失脚・粛清に手をかけたとみられている。

 

今回の張氏の粛清は両機関からの巻き返しで、最終的に張氏は報復された-との権力闘争が背景に取り沙汰されている。

 

 

 

統治資金の奪い合いが粛清の事件の引き金か

 

張氏は、軍から統治資金を奪取して「自分の時代」を作ろうとしていた。

 

軍部の実力者、李英浩総参謀長が20127月、すべての役職から解任された。李が軍経済をすべて握り、その利権の返還を拒んだことが理由とされ、抵抗した李氏とそのグループが平壌市内で実力行使して銃撃戦になったとの情報がある。この解任が軍部の怒りに火を付けたようだ。

 

張成沢氏を裁いた国家安全保衛部特別軍事法廷の判決文には3つの特徴がある。軍部の激しい怒りの表明改革・解放路線や中国との経済協力関係の批判「宗派の頭目」「反動集団」との呼称~つまり単独ではないとの強調だ。このため粛清は今後12年続くとみられ、政権の今後は不透明となった。

 

金正恩氏の統治力が、一連の課程で組織指導部や軍部に主導権を奪われている可能性を指摘する専門家もいる。北朝鮮が恐怖と憎悪の時代に入ったことは確実のようだ。

 

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