日本よ、侍国家たれ。

日本は「サムライ国家」としての意気を示し、いわれなき批判を仕掛けてくる不届き国家に対し、断固反論しなければならない。

●教えるなら、真実を教えよ。いいかげん、嘘はやめろ。中共は嘘の塊だ。

http://www.excite.co.jp/News/chn_soc/20150211/Recordchina_20150211011.html

 

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「だって、日本人は敵だから…」 3歳の息子が放った言葉に絶句=「私たちは果たして正しいのだろうか?」―中国ネット

 

2015年2月8日、中国のインターネット上に、3歳の息子の日本に対する反応に絶句したという文章が掲載された。


ユーバー杯の中国対日本の決勝戦の録画を見ていたとき、3歳の息子が突然走り寄ってきて「パパ、何を見てるの?」と甘えた声で聞いてきた。私が「見てごらん。何だと思う?」と聞くと、「サッカー!」と答えた。私は笑いながら、サッカーとバドミントンの違いをゆっくりと教えた。そして息子に、中国と日本が対戦していることを告げた。

私は画面の日本選手を指差しながら、「これが日本人だよ」と言った。このとき、思いもよらぬことが起きた。息子が突然、私の胸に頭をうずめて、私の腕を強くつかんだ。そして、泣き出しそうな声で「パパ、僕怖い!」と言った。

本当に意外だったが、私はあえて落ち着いた声で「何が怖いんだい?」と聞いた。息子は「日本が怖い!」と言った。私の心は揺れた。息子に「どうして日本を怖がるんだい?」と聞くと、その答えに私は絶句した。「だって、日本人は敵だから」

私はこれが、自分が息子に教えたことだとわかっていた。息子は地図を見るのが好きで、国や地形に対して鋭い観察力と記憶力を持っていた。そのため、私は壁に大きな世界地図を貼り、中国の周りから一つひとつ国を教えていった。日本について教えるとき、息子の記憶に強く残すため、ネット上の比喩を使った。

それは、「この国は1匹の虫。中国は雄鶏。一口で食べられる。日本鬼子(※日本人の蔑称)はわれわれの敵で、なんとしても消し去らなければならない」というものだ。話が終わるのを待たずに、息子はおもちゃ箱の中からマシンガンを取り出し、日本鬼子を消滅させる!」と言いながら日本に向かって掃射した。

それから毎日、地理の勉強をするときには、必ず憎むべき“虫”にマシンガンを放つようになった。

私はこのゲームの中で、すでに“敵”に対して大きな心理的優勢を持っていると思っていた。少なくとも、怖がりはしないだろうと。しかし、私は“敵”という概念をおろそかにしていた。おそらく、息子に対して逆に不安感や恐怖心を与えていたのだろう。私は反省した。それよりも私を不安にさせたのは、私が大人の一国に対する考え方をやみくもに子どもに押し付けてしまったことだ。このようなことをするのは、果たして正しいのだろうか?

私は、軍服に軍刀を持ち、「バカヤロウ」と叫ぶ悪魔のように凶暴な日本鬼子のイメージと共に幼少期や青年期を過ごした。

 

そのイメージは私の頭の中に固定化されて、変えることはできない。後に日本を紹介する書籍に出会い、日本の優秀な作家の作品を読んだことで、すべての日本人が鬼のしっぽを持っているわけではないとわかった。彼らの多くが私たちのように普通に暮らし、感情があって善良で温和で、そして、私たちが学ぶべき優秀な面を数えきれないほど持っていることや、友人として付き合うべき理由が無数にあることを知った。

しかし、子どもはまっさらなのだ。人生の道で、まだ足元がおぼつかない彼を引っ張るとき、私はどんな言葉で彼の白紙の上に色を塗っていくべきなのか。本当にこうした民族が踏襲してきた血なまぐさい恨みの記憶を、彼に教え込むべきなのか。この子に、小さいうちからよく知らない、あるいは一生その地を踏むことのないかもしれない国に対して、恨みの種をまかせて良いのだろうか。答えはノーだ。

恨みは一切の問題を解決してくれないばかりか、恨みを増幅させることしかできない。次の世代の子どもたちに真相を伝えることは絶対にしなければならない。

 

しかし、われわれは理解しなければならないことがある。それは、戦争を記憶する目的は、戦争の残酷さを知り、戦争を防ぐためであって、恨みをかき立てるものではない、ということである。

 

(翻訳・編集/北田)

 

 

 

 

 

 

 

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