日本よ、侍国家たれ。

日本は「サムライ国家」としての意気を示し、いわれなき批判を仕掛けてくる不届き国家に対し、断固反論しなければならない。

●「韓国映画『軍艦島』はフェイクである」を示唆する、これだけの証拠

 

<1926年3月27日 釜山日報>

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韓国映画軍艦島』はフェイクである」を示唆する、これだけの証拠 ~戦前の新聞記事を読んでみると…

当時の新聞記事にみる「内地就職」

7月26日、韓国で映画『軍艦島』が公開された。日本統治期であった1945年、長崎県端島(別名軍艦島)の炭鉱労働を背景にした映画を制作することが発表されたときから、日韓両国で話題となってきた映画だ。

話題となった原因は、映画の中に登場する朝鮮人たちがそこでどのような生活をし、どのような待遇を受けて来たのかという点について、日韓両国の見解に隔たりがあるためである。

韓国――強制連行、就職詐欺、酷使による「地獄」
日本――最新施設、高額の給与、二つの民族が共存した「普通の職場」

映画の中に登場する朝鮮人たちは強制連行により送り込まれたか、条件のいいところで仕事をさせてやるという言葉を信じて日本に渡ったのに、待っていたのは過酷な労働環境で、奴隷のような生活を強いられたと描かれている。

もっともこれは、今回の映画で初めて出された見解ではなく、韓国マスコミ、国民が以前から抱いている軍艦島に対するイメージそのものだ。

 

一方、日本人が軍艦島について抱くイメージはどうか。軍艦島といえば、当時の最先端をいく建物、施設が配置された労働現場であり、過酷な作業、危険が伴う仕事ではあるものの、朝鮮人も日本人と同じ待遇を受け、共に働いていたというのである。

戦後70年も経った今となっては、両国の主張のうちどちらが「事実」に近いと断定することは難しいのかもしれない。だが、少なくとも映画において描かれたいわゆる韓国側の主張が事実だとすれば、日本側の主張は嘘だということになり、反対に日本側の主張が事実だとすれば、そこを地獄のように語る韓国側の主張が嘘だということになる。

韓国側は主張の根拠として、軍艦島で働いていたという生存者たちの「証言」を提示している。だが「証言」だけをもって全ての状況を正確に伝えられていると断定することはできない。

なぜならば、そもそも記憶というのは可変的なものであって、場合によっては錯覚が含まれたり、感情が優先されて事実とは異なる形で再現されたりすることもあり得るからだ。

例えば、同じ経験をした仲間同士でその経験を語りあったときに、自分の記憶とは異なるストーリーに出会い、記憶を再構築し直すというのは誰にでもあることだ。

また、「一般的に知られている証言」がそこにいた人たち全員の見解を平等に余すことなく伝えているものでもないということにも注目しなければならない。例として「一般的に知られていない証言」の例を一つ紹介する。軍艦島で少年時代を過ごしたある朝鮮人の本に書かれた証言だ。

熟練労働者だった父の月給は戦時中物価が上昇した時は180円にも達した。教師や役所の職員よりも多い報酬だった。しかもお金を使おうとしても使う所がない孤立した島だったので、一定の金額を貯金することができた。

鉱夫の子供たちは学校に通うことができた。日本はその頃、普通学校を国民学校と、高等普通学校を中学校と名を変えて呼んでいた。故郷で普通学校1学年を終えたグ・ヨンチョルは国民学校2学年に編入した。40人を超える同級生の中で朝鮮人は3人だけだったが他の2人は女学生だった。

学校生活は悪くなかった。朝鮮で日本語を習ってきていたのに加え、頭の良かったグ・ヨンチョルは日本の子供たちを差し置いて最高の成績を維持することができた。性格もおだやかで、おもしろい冗談もよく言うし、運動もできたので、日本の子供たちにもよく溶け込んでいた。

(中略)

戦時体制となり全ての食糧について配給制が敷かれていた。朝鮮では聞いたこともなかったようなパイナップルやマンゴのような熱帯の果物が次々と入ってきた。毎日補給船にぎっしり載せられてくる新鮮な果物だけをみても日本が必ずや世界を支配するように思われた。

『神仏山』(2011) グ・ヨンチョル

たかが子供1人の体験談である。だが、これだけでも十分に(韓国人の立場からみれば)ショッキングな証言だ。

それでは、当時発行された新聞や雑誌に記録された朝鮮人労働者の内地(日本)就職はどのような姿だったのか? それらの記録を確認した私は、一般的な韓国の常識からは想像することも出来ないような、先祖たちの姿を発見することになった。

内地渡航を「阻止」する当局

1910年、日本による韓国併合以降多くの朝鮮人が内地(日本)へ渡った。彼らにとって日本は人気のある就職先で、それは強制的なものではなかった。むしろ日本当局は密航者たちの多さに頭を抱えていた。

 

例えば次の「内地に憧がるゝ鮮人労働者がうかうかと渡航するを桟橋で喰止めるだけでも一ト仕事」というタイトルの記事は1926年釜山日報に掲載された記事である。当局は内地渡航希望者を必死に「阻止」しているが、それも人手不足で「阻止」しきれていないという状況を伝えている。

<1926年3月27日 釜山日報>

当局が渡航停止、または制限の措置を強化すると増えたのが「密航」である。内地への密航者は戦況が悪化した戦争末期まで後を絶たなかった。密航者についての記録や記事は数え切れないほどに存在する。

朝鮮人たちが目標とした「密航先」の中には現在の韓国人たちの頭の中で「地獄」として刻み込まれている「炭鉱」も含まれている。

朝鮮中央日報1934年08月24日の記事には半島において日本の代表的炭鉱地域として知られている福岡県筑豊炭鉱を目標にした密航者が続出し、当局が頭を痛めているという記事が登場する(「筑豊炭鉱を目標に密航朝鮮人激増」)。この筑豊炭鉱も現在韓国では奴隷のように酷使された「地獄」として認識されている場所だ。

<「筑豊炭鉱を目標に密航朝鮮人激増」朝鮮中央日報 1934年8月24日>

1000円を送金する青年も

また、当時の記事をみると朝鮮人労働者たちが半島と内地を自由に行き来していたことを伺い知ることができる。

例として1925年12月21日の毎日新報を見ると、内地が不景気で就職が厳しくなると、仕事にありつけずに再び半島に戻って来る労働者をあざ笑うような記事が登場している。(「内地で労働していた朝鮮人帰還激増 所持金は5円乃至30円が最高。追い出されてくる連中の姿を見ろ」)。

 

記事によるとこの時期、内地に渡航する朝鮮人よりも、半島に戻ってくる朝鮮人の数が上回っていたという。

<「内地で労働していた朝鮮人帰還激増。所持金は5円乃至30円が最高。追い出されてくる連中の姿を見ろ」1925年12月21日 毎日新報>

1934年3月7日の釜山日報をみると興味深い記事が目につく。朝鮮民族にとって大きな祝い事である旧正月に合わせ内地で仕事をしていた労働者たちが故郷で旧正月を過ごすために帰郷し、再び内地の職場に復帰しようと一斉に釜山に向かったために釜山が大混乱に陥ったというものだ。

<「旧正(月)を終えて再渡航朝鮮人 堤を切って殺到」1934年3月7日 釜山日報>

これら一連の記事を見ていると、韓国で生まれ育った人間としては混乱に陥り、疑問ばかりが頭に浮かんでくる。何故ならば、韓国で刻み込まれた「強制連行」そして「奴隷労働」というイメージが崩壊しかねないような内容が次々と登場するからだ。

ここまでに紹介してきた記事だけを見ても、多くの疑問が生まれてくる。

「強制連行」が行われていた内地に、何故朝鮮人たちは「密航」してまで赴いたのだろうか? 何故、地獄のような労働環境だった炭鉱を目標に密航したのだろうか? 監禁され、奴隷のように労働を強要されていた労働者たちが、不景気だからといって帰郷することができたのだろうか? 旧正月を過ごすために帰郷したのであれば、その時に逃げることもできただろうに、何故再び戻ろうとしたのだろうか?

ここまでは国民徴用令(日本では1939年、朝鮮では1944年から実施)が出される前の状況だという人もいるかもしれない。

しかし、1940年代の記事を見てもこういった疑問は尽きない。

こういった記事の中には、軍艦島で働いていた朝鮮人労働者たちが故郷の災害に救済金を送り、故郷の住民たちを感激させたという記事(「内地に行った労働者が旱害救済金を送る」)もあるのだが、(証言によると)給料も受け取れなかったという朝鮮人たちが、どうすればこのような寄付をすることができたというのだろうか?

<「内地に行った労働者が旱害救済金を送る」1940年6月19日 東亜日報端島朝鮮人労働者が故郷である晋州に50円を寄付し同胞を感激させたことを伝える記事>

この他にも1940年代の記事を見ていくと、福岡の勝田炭鉱に行き、1年で1400円を稼いで故郷に帰った朝鮮人の話(1941年)、筑豊炭田で故郷に1000円を送金、800円を貯金した朝鮮青年の話(1944年)などがある。

これらの姿は現在の韓国人の持つ「奴隷労働者」のイメージからはあまりにもかけ離れている(1941年の1400円は現在の金額で500万円以上の大金だ)。

 

両国に残された宿題

私は、新聞の記事もまた100%の現実を伝えているものだとは思わない。伝達者の感情、あるいは先入観が影響している可能性もあるし、ましてや戦時期である。マスコミが軍部の監視、統制下に敷かれていたことは周知の事実である。

ただ、「新聞記事」には酷使されたり、殴打されたりする労働者たちの姿、つまり「暗い側面」も紹介されているのに、(韓国で取り上げられている)「証言」には内地に行きたがっていた労働者、大金を送金した鉱夫、金持ちになり戻ってきた労働者などの「明るい側面」はほとんど存在しない。

証言の中の朝鮮人労働者たちは皆「被害者」としてのみ存在する。このような中で「証言」だけを論拠にこの問題を語ることが、客観的事実の伝達ということができるだろうか?

過去に対する評価を一致させるべきとは思わない。意見は多様であることの方が望ましい。しかし、過去に対する一方的な「記憶」だけをもって、「現在」を生きている人々の怒りや悲しみを煽るような行為は止めるべきではないだろうか。

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