日本よ、侍国家たれ。

日本は「サムライ国家」としての意気を示し、いわれなき批判を仕掛けてくる不届き国家に対し、断固反論しなければならない。

●日本に生まれて本当に良かった。あの国は、恥ずかしい限りである。

f:id:hs34728:20170331213241j:plain

学内の親日派銅像は恥ずかしい…撤去を要求する韓国の大学生」。韓国の大手紙・中央日報電子版に最近、こんな見出しの記事が出ていた。名門私大・高麗大の設立者が「親日行為」を認定され、韓国政府が叙勲剥奪の手続きを行ったことを受けて、同大の総学生会が校内にある銅像の撤去や記念館の名称変更を求める声明を出した、という内容だ。同様の動きは、名門女子大の梨花女子大でも起きているという。

 

戦後70年以上たった今も「売国・売族者」と先祖に遡(さかのぼ)って悪罵(あくば)を投げつけられ、財産や名誉を奪われる人たち。一族が親日派のレッテルを貼られ、身を縮めて生きていかねばならぬ人たち。民族を日帝に売り渡した親日派を正しく処断できねば、真の解放はありえない、だって? 到底理解できない恨みの強さ、あるいは執念深さ、というべきか。

 

文在寅(ムン・ジェイン)政権下で進む「反日ナショナリズム」の高騰は自国民向けにはなっても日韓関係の未来にはつながりはしまい。日本人の心は離れていくばかりだが、親日派たたきは収まらない。特に文も政権幹部に就いていた2000年代の盧武鉉ノ・ムヒョン)政権下の韓国社会で熱を帯びた追及は異様だった。

 

なぜ一転、親日派批判

『鳳仙花(ほうせんか)』や『故郷の春』などの作曲者で、朝鮮を代表する音楽家、洪蘭坡(ホン・ナンパ)(1897~1941年)も、その一人であるのは先週書いた。“抗日・独立のシンボル”とされた『鳳仙花』を作曲した洪が、なぜ戦後、一転して親日派として批判されたのか?

 

2000年代に韓国で刊行された「親日人名事典」の記述を見てみたい。

 

洪は、朝鮮正楽伝習所西洋楽部などを経て、日本に留学。大正7(1918)年、東京音楽学校(現東京芸大予科に入学、15年には、東京高等音楽学院(同国立音大)でバイオリンなどを学んでいる。昭和3年、東京のオーケストラで第1バイオリンを担当。9年には、日本ビクター京城支店音楽主任に就任。この間『鳳仙花』のもとになった「哀愁」や『故郷の春』をつくっている。

 

親日派」として問題視されるのはこの後だ。

抗日運動にかかわって検挙された後に転向し、12年「思想転向に関する論文」を提出。さらには、朝鮮総督府の肝煎りで、組織された“親日文芸団体”『朝鮮文芸会』に文学者の李光洙(イ・グァンス)らとともに加入。軍部の宣伝に協力して「正義の凱歌(がいか)」「空軍の歌」などを作曲したという…。

 

声楽家で元聖学院大学教授の遠藤喜美子(90)は『鳳仙花 評伝・洪蘭坡』の著者。母校(国立音大)の先輩でもある洪を、日本の滝廉太郎山田耕筰に匹敵する「朝鮮近代音楽の父」とたたえている。

 

韓国で洪蘭坡の未亡人に会ったとき、住まいは小さなアパートで経済的にも困窮している様子に驚かされたという。著書を手渡すと、「病床にあった奥さんが『日本人のあなたがこんな本を書いてくれるなんて…』と涙を流して喜んでくださった」と話す。

 

評伝を韓国で翻訳出版する話は、何度も持ち上がっては立ち消えになった。ようやく実現したのは生誕120年に当たる昨年である。この間、訪韓した際に何度か韓国のテレビ局が取材に来たが、実際に放送されたことは一度もなかったと振り返る。

 

遠藤は思う。「反日教育を受けてきた今の韓国の若い人たちは、この偉大な音楽家について、本当のことを知らないのです」

 

もちろん韓国にも、この国民的音楽家を擁護する人たちは少なくはない。

 

親日人名事典」には収録されたが、その後、韓国政府が発表した名簿からは、元大統領の朴正煕(パク・チョンヒ)らとともに外されている。言論界にも、洪を親日派と決めつけて、その人生や業績の全てを否定し、歴史から消し去ろうとするのは「極端な論理だ」とやんわり反論する主張も見られる。

 

有能だからこそ重用

ところで、遠藤の著書によれば、洪と同時期に、東京高等音楽学院に留学していた朝鮮人の中には、後に韓国の国歌と位置づけられる「愛国歌」を作曲した安益泰(アン・イクテ)(1906~65年)がいた。そのくだりを引いてみよう。《日本全国はもとより朝鮮や台湾などからも優秀な学生がこうして参集した。(略)彼(洪)に続いて翌1930年の韓国人卒業生の中には特筆すべき4人の逸材がいた…ピアニストの金元福、バイオリニストの洪盛裕、ピアノ科卒業の朴啓成、またチェリストで後に韓国国歌となる「愛国歌」を作曲した安益泰である》(『鳳仙花 評伝・洪蘭坡』から)

 

安はその後、欧米で活躍、世界的な名声を得たが、戦時中、満州国建国10周年祝賀曲に関わっていたことや愛国歌の“流用疑惑”まで問題視されて「親日人名事典」に名前を載せられている。

 

だが、当時、才能に恵まれた朝鮮の若者が日本へ留学するのは当たり前のコースだったし、優れた音楽家だからこそ、時の政権や軍部に重用されたのだ。

 

「国歌」をめぐっては、北朝鮮にも別の愛国歌があり、晴れて統一がなった暁には新たな国歌を制定したいという思いを描く人たちもいる。平昌五輪開会式で南北選手団が合同で入場したときに流されたのは朝鮮民謡の「アリラン」だった。だが、日本統治時代に関わるものが全てダメなら、この曲も日本統治時代の同名映画から生まれたことをこの連載の1回目で書いた通りである。

 

韓国の愛国歌は、凜(りん)として格調高い名曲だ。私が韓国で暮らしたとき、朝一番でラジオ放送開始前に必ず流されるこの曲を聴くと背筋が伸びる思いがした。

 

あるいは、哀愁を帯び、心に響く『鳳仙花』のメロディー、思わず口ずさみたくなる楽しい『故郷の春』を聴いてみればいい。文化・芸術に政治を絡ませる愚かさが分かるはずだ。=敬称略、日曜掲載(文化部編集委員 喜多由浩)